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 チン・・・

 触れ合ったグラスが澄んだ音を響かせると、それを持つ紫穂のしなやかな指先に落ちたルビー色の影が微かに揺らめいた。
 何か気の利いたことを言おうと思案していた男は、数秒の沈黙の後、結局何も言い出せずに無言でグラスを口に運ぼうとする。
 いつも以上に煮え切らない男に呆れつつも、紫穂は軽くグラスを掲げ、中の液体越しに目の前の男に語りかけた。

 「誕生日おめでとう・・・」

 グラスの中、赤く色づいた男の顔は怪訝な表情を浮かべていた。

 「それは僕の台詞じゃないかな? 今日は君の誕生日なんだし・・・」

 「いいのよ・・・今のは条例を気にしなくて良くなったアナタへのお祝いの言葉」

 18歳になった紫穂は、男の心を見透かしたような悪女の微笑みを浮かべる。
 その顔から余裕が薄れたのは、男の目に宿る真剣な光を感じ取ったからだった。

 「いいんだな・・・・・・」

 男がポケットから覗かせたものを見て、紫穂の顔にも緊張が走る。
 さりげなくリミッターの出力を上げると、浮かべた緊張を誤魔化すように、まだ堂々とは飲めない液体を喉に流し込む。
 出力を上げたのは、無意識に男の心を読まないようにするためだった。
 彼が見せたのは部屋のキー。
 それは今、食事をしているホテルのものだった。

――――  Happy Birthday to ・・・(紫穂ver)  ――――

作:UG

 バスルームから聞こえてくるシャワーの音が止む。
 能力を使わなくても伝わってくる男の気配に、紫穂はやや慌てたように鏡の前から離れた。
 既にシャワーを済ませた体には男物のYシャツ。
 はだけたシャツから覗く胸元や、下着以外はつけていない下半身は男の視線を意識したものだった。   
 あざといまでのセクシーさにいつもの彼なら顔を赤らめ目をそらす。
 しかし今日の彼は違っていた。


 「どういう風の吹き回し? 最近、自分からは手も握ってこなかったのに・・・」


 無言で歩み寄ってくる男に、紫穂はクスクスと笑いかけながらベッドに腰掛ける。
 それは精一杯の余裕の演技だった。
 男がシャワーを浴びている間に奪ったYシャツは、読み取った前の客の行動をそのままなぞっているに過ぎない。
 読み取った知識と現実とのギャップを、彼女はほんの少しの勇気で埋めるつもりだった。

 「わかっているだろう?」

 「ダメ・・・、ちゃんと言葉で伝えて」

 触れようとした男の手を紫穂は優しく拒絶する。
 自分では焦らしているつもり。
 しかし、うわずった声が彼女の本心を透けさせていた。



 ―――知りたい・・・でも、怖い。



 目の前の男が自分に向けている嘘偽りのない気持ち。
 本人が胸の奥底に秘めている深層まで、彼女は知る術を持っている。
 ただ黙って彼に触れるだけで彼女はそれを行うことができた。
 それだけに紫穂はその力を意識して押さえようとする。
 目の前の男は彼女にとって特別な存在だった。


 レベル7のサイコメトラーの手を、しかもそのことを知ってからも、なお握るのを躊躇わなかった男。
 慣れていたはずの拒絶―――人々が自分に向ける恐れや嫌悪を、男は彼女に見せることは無かった。
 レベル7とはいえ、読もうと意識しなければ深層心理のイメージが像を結ぶことはない。
 男の行動はそれを理解していただけなのかも知れない。
 しかし、紫穂は今だにその真相を確かめることが出来なかった。 
 彼女はその時から男の深層を読むことができなくなっている。


 ―――幻想が大きすぎると、本番で面倒よ?


 ファーストキスを管理官に奪われたときに口にした台詞。
 これからやろうとしていることを、単に粘膜の摩擦と考えることはできる。
 しかし、彼がそう考えているとは思いたくなかった。
 人の心を覗けてしまう自分だからこそ、心の繋がりというものに期待してしまう。


 ―――今夜だけは、幻想かも知れないそれを感じていたい。


 だから彼女は意識して自分の力を押さえていた。



 「それはかなり難しいな・・・」

 紫穂の左手が男に握られる。
 強く流れ込もうとする意識に、拒絶を示そうとしたが無駄だった。
 力強く握られた左手から、抵抗する間もなくリング型のリミッターが引き抜かれる。
 パニックを起こした意識が、替わりにはめられたリングに気付くまでに数秒の時間が必要だった。

 「あ・・・・・・」

 それは自分の力によるものだったのだろうか?
 耳元で囁かれる言葉は殆ど意味を成してはいなかった。
 男と接した全ての部分から彼の意識が流れ込んでくる。
 決して綺麗とは言えない、しかし言葉を持つ以前の人類ならば感じられただろうむき出しの好意。
 愛などの抽象的なイメージに混ざる、自分の体を貪りたいという欲求―――男としての意識と雄としての本能が、混濁しつつ紫穂の胸に染み込んでくる。
 時折ぶつけられる、口にするのを憚られるような思念にも不思議と嫌悪は感じない。それすらも紫穂には心地よいものだった。
 そして、次々と己の心を駆け抜けてゆく思念のなかで、最後まで残った思いが紫穂の胸を締め付ける。
 それは男と雄、どちらの気持ちだったのだろう。


 ―――ずっと一緒にいたい


 紫穂は目に涙を浮かべながら力一杯男に抱きつく。

 「ずるいわよ、あなたばっかり・・・・・・」

 胸に溢れる思いを直接伝えられないことが歯痒かった。
 だから紫穂は自分の気持ちを精一杯彼に伝えようとする。
 恐れや躊躇いは無かった。
 思いを伝えるには多くの言葉はいらない。
 伝わる肌の温もりと


 ――― I と love と you


 三つの単語で十分だった。

挿し絵:サスケ

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