「ほら、行くわよ。何してんのよ」
苛立った口調でそう言いながら、一人の少女が紅白の帽子を指でくるくると回している。
時折溜息を吐きながら指でもてあそんでいるのは、全体的には紅色、フチと先端が白色の、いわゆるサンタ帽だ。
ちらりと見上げた夜空からは真白い雪が降り続いており、たぶん、このまま積もっていくのだろうと思われる。
吐く息は白く、このまま突っ立っていても、寒いだけでメリットは何一つ無い。
このまま凍死したら、大変よね。
そんなことを少女――タマモは思ったが、それでも帽子を被らず指で回し続けているのは、相方が動こうとしない苛立ちを抑えるためなのだろうか。
あるいは、一時間も掛けた髪のセットが崩れるのを無意識ながらも気にしているのからなのだろうか。
帽子の風圧で、彼女の周囲に舞い落ちる雪が吹き飛ばされていくため、さほど彼女の髪も服も濡れている感じはしない。
日本人離れした金色の髪は、偶然たどり着くことの出来た雪に濡れながらも、未だ十二分に輝いている。
それどころか、濡れてキラキラと光を反射するため、彼女の可愛らしい顔に、いっそうの彩りを添えているではないか。
そして、彼女が着ている服装もまた、彼女の可愛らしさを引き立てるのに十分な破壊力を持っていた。
たぶん、手作りなのだろう。
全身に着込んでいるのは、帽子と同じく紅白カラーで統一された、まさしくサンタルックである。
ぴったりとした上着は市販のものよりかなり裾が短く、キュッと金色のベルトでお腹が引き締められた様は、まるでどこかのイメクラ嬢のような雰囲気をも醸し出している。
黒色タイツと紅白の可愛らしいブーツを履いていてさえかなり寒そうだが、数分経ってもまだ、当の本人は一歩も動かず帽子を操り続けていた。
雪が降りしきる中でも腰に右手を当てたまま身震い一つしないのだから、もしや、彼女は寒さを全く感じていないのだろうか。
そんな疑問を持ってしまうが、当然ながらそんな人間は居るはずが無く、良く見ると、彼女の脚爪先が微妙に上下しているようだ。
どうやら、それだけの運動で体温を維持しているらしい。
理想のシャッターチャンスが訪れるまでじっと立ち尽くす、プロのカメラマンもかくやと言わんばかりの我慢強さである。
しかし、強固な意思で我慢し続けても、そんな格好では、いずれ風邪を引いてしまうだろう。
その前に行動を起こすのか、あるいは、内側から湧き起こる、あの彼への熱で体を火照らせ続けるのか――
あるいは、すれ違う男からのギラギラとした欲望の視線で寒さを吹き飛ばすのか。
彼女が放っているオーラは、熱く、男を奮い立たせる類のものであり、淫靡、とまではいかないが、普通の男なら思わず視線を釘付けさせてしまいそうな、大人の女性が放つそれであるのだ。
隣に恋人が居ても、思わず、もっと見せろと食い入るような視線を向けさせてしまっているのだから、何とも罪作りな女と言えよう。
ああ、かような雰囲気を身に纏ったまま、タマモはいったい何を待っているのだろうか。
彼女の、不満そうな、あるいは呆れたような視線の先には、対照的にどんよりと沈み込んだ雰囲気を放つ女性が見える。
……女性?
長髪なので、たぶん男性ではなく女性だろうと推測されるが、その格好を見て一目で女性と分かる人間は、たぶん、ごく少数だろう。
何せ、格好が格好である。
脚爪先から首まで、すっぽりと全身を覆い隠している茶色の服は、全体的に綿でも入っているのか、凹凸の無いずんぐりむっくりのシルエットを中の人間に与えているのだ。
普段の格好ならアピール出来るはずのくびれた胴体も、きちんと育った胸部も、全て均一にされてしまっている状態では、女性らしさを口にしても虚しいだけだ。
おまけに、作り物の角や赤い突起の付いた薄茶色のマスク、ピカピカな鈴のある首輪をしているとあれば、彼女について誰へ尋ねようとも、中の人間が男か女か関係ないとばかりに、たった一つの答えしか返ってこないだろう。
「ほら、トナカイが居なきゃサンタは動けないんだからね。さっさと行きましょ」
先ほどより苛立った風なタマモの言葉を、何で拙者が、と滂沱の涙を流しつつも突っ立ったまま受け流しているのは、トナカイの格好をした事務所仲間の少女、シロであった。
「いつまでそうしているつもりなの? 自業自得なんだから、ったく、もぅ……」
そうタマモはぼやいたが、シロがこうやって茫然自失となっているのは、経緯を考えればもっともな話である。
そもそも、シロが師匠と仰ぐ横島の元へのクリスマスイブ訪問計画がタマモに発覚したことが、この体たらくの始まりだったからだ。
今年こそは、クリスマスに横島先生と二人きりで過ごしたい。
そんな計画を胸に秘め、シロは密かに、しかし嬉々として準備を整えていたのだが、彼女にとっては不幸なことに、彼女の部屋にはタマモが同居していたのだ。
お人よしのシロと違い、僅かだが前世の記憶を持ち、色々と他人を観察してきたタマモには、シロが準備しているものを見て、何をしようとしているか分かってしまったのである。
また、同室していたのがタマモでなかったとしても、夜毎プレゼントに悩む様子や準備でそわそわしている様を見せ付けられては、いくら鈍感でも、そのうちに何かあると気付かれてしまっただろう。
シロは必死で隠そうとしていたが、根が正直な彼女には、隠しきることが困難だったからだ。
いよいよ明日と言う段になって、そう言えばとタマモに問い詰められたとき、最初、シロは動揺しながらもとぼけていた。
『拙者が何を準備しようとも、雌狐には関係ないでござるよ』
しかし、それを受け、タマモは即座にこう切り返した。
『あら。じゃあ、私が同じ格好して横島のとこへ行っても、同様に問題ないってことね』
『駄目っ! 先生のところへは、拙者が行くんでござるっ!! ……ぁ』
かくしてシロは誘導尋問に引っかかって自爆し、タマモへ洗いざらい説明するはめになったのである。
それでも不幸中の幸いで、タマモの態度から察するに、彼女以外へはバレていないようシロには感じられた。
もし他の女性にもバレたなら、せっかくの計画が台無しになってしまうではないか――
にやにやしているタマモを拝み倒し、何とか家主の美神を始めとする他の人たちへ黙っていてもらうことにはなったのだが、その際の条件と言うか勝負の結果が、この格好なのだった。
一緒に行ってもいいわよね、と意地悪な笑みを浮かべるタマモをシロはしばらく睨んでいたが、やっとの思いで起死回生の手を思い付くと、噛み付かんばかりの口調でこう提案した。
『か、構わないでござる。何なら、拙者の用意したサンタ服を着てもいいでござる……が、じゃんけんに勝てたらの話でござるよ。負けたら幻術で美神殿たちを誤魔化すこと! 当然、この件について一切を黙っているように』
鍛え上げた動体視力でもってすれば、じゃんけんの際、相手の手など簡単に見える。
事実、横島には連戦連勝だったのだから、そんな慢心をしていたのもやむを得ない。
しかし、その結果は――シロの負けだった。
タマモは何と、幻術で最後の瞬間まで自分の手を隠していたのだ。
これでは、いくら目をこらしても意味が無い。
幻術が彼女の得意技と知っていて、それでもじゃんけん勝負を持ちかけた時点で、シロの負けは決定していたも同然だった。
仮に、真っ当な勝負であったとしても、結果を誤魔化されていたに違いないからだ。
『私の勝ちよね』
そんな悪魔の笑みを見て、もはやグーの音も出せなくなったシロは、武士は約束をたがえないと言いきってサンタ服をタマモに渡し、自分はこのような格好になったのであるが……やはり、悔しいものは悔しい。
しかも、自分をトナカイと呼ぶのが、日ごろ自分を犬ころ扱いしているタマモなのだ。
タマモはちゃっかりサンタ服を自分用に調整し、そのボディラインを更に美しく見せていると言うのに、誇り高き狼を自負する自分は今やトナカイとなり、もはや犬科ですら……無い。
あまりの格差に情けなくなり、シロの両眼から涙が滝のように流れていく。
寒さで凍る暇もないほど多量に滴り落ちていく。
「自分で出した条件でしょ。負けたんだんだから、さっさと行くわよトナカイさん」
タマモの十数回目になるそんな罵倒も、シロの耳には、もう聞こえていない。
思い描いていた薔薇色の予定が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、現実逃避をし始めてもいたからである。
雪がシロの上に降り積もっていく。
タマモはさほどで無いが、石像と化したシロには、払いのけることさえ思い付けないのだ。
聖なる夜、慕っている異性と二人、甘い時間を過ごすはずなのに……
砕け散った夢を噛み締め、人生の厳しさを味わっているシロの上に、静かに雪が積もっていく。
このままでは、下手をすれば明日朝には氷像と化す恐れさえあるのだが、シロはぴくりとも動こうとしなかった。
そんな彼女の様子を見て、これはもう駄目かしらと溜息を吐いたタマモだったが、ふと思い付いたことがあったので、これで最後とシロの耳元で、彼女はこう囁いてみた。
「ねぇシロ、いい加減にしない? 今のあんたはトナカイと言う獣なんだから、横島も、あんたのことをそれなりに、そう、獣並みに扱ってくれるかもしれないでしょ」
その言葉で、虚ろだったシロの目に、僅かな光が灯る。
「ケモノ扱い……?」
ぎこちなくだが、シロの耳も動き始めたため、タマモは、やっと動く気になったかと言い回しを過激にしてみた。
「そう、『ケダモノ扱い』よ。横島がすけべなのは、あんたのほうが詳しいでしょ? だから、さっさと行きましょ」
タマモとしては、シロが動けば儲けもの程度の言葉だった。
これで駄目なら自分だけで行けばいいと、そう思い始めていたところだったからだ。
しかし、シロは見事に反応した。
言われたことを反芻するうちに、頬どころか、顔全体が真っ赤に燃え上がっていく。
「せ、先生が拙者のことをケダモノに……あ、あんなことやこんなことを……」
いったい、何を考えているのか。
シロは、ぶるりと震え、体に積もっていた雪を一瞬にして落とすと、おもむろにカッと目を見開き、こう叫んだ。
「先生! 拙者は、先生と共にケダモノになるでござるよ!!」
中身は少々違うが、君子豹変するとは、まさにこのような状態なのだろうか。
先ほどまでの沈んだ様子は、もはや微塵も見受けられない。
雪で白くなっていた全身は炎を噴き出しているかのような紅いオーラを発し、服も、茶色から焦げ茶色へと変色していく。
鼻に付いている作り物の飾りも、ビカビカと光り輝いては夜道を照らしている。
何へ、はともかくとして、今のシロが心身共に燃えているのは間違いない。
あまりの変わりように苦笑いしたタマモは、それでもシロを次のように茶化し、先に歩き出した。
「獣になっても、サンタの私を置いていくような真似は許さないからね。トナカイだけで行ったら怪しまれるんだから……さあ、行くわよ。ハイヨー、シルバー!」
「拙者は馬じゃ無いっ! トナカイだから、鹿でござるっ!!」
自分は犬科であり、狼だと言っていたのは、どこの誰だろう。
掛け声がまずかったのか、釘を刺したにもかかわらず奇声を発し駆け出したシロの後ろ姿を見て、思わずタマモが呟く。
「あんたの脳みそは、鹿だか馬だか分からないじゃないのよ、まったく……こらっ! サンタを伴わないでどーするのよっ!!」
そして彼女もシロの後を追うように走り出したため、たちまちの内に、二人の姿は住宅街へと消えていった。
先ほどまで彼女たちが居た痕跡は、ただ足跡だけであるが、それもすぐに雪で埋もれてしまい、今は何も見えない。
ただ、急速に遠ざかっていくシャンシャンと言う鈴の音だけが、聖夜に二人の存在を示し続けていた。
風のように駆けていく二人。
サンタとトナカイが並んで走る様は、端から見れば奇妙なものだったろう。
が、それを目視できる者は誰もおらず、一応は聞こえる鈴の音もドップラー効果が掛かっているとあらば、この楽しむべき聖夜に、あえて関心を持とうとする人は皆無である。
それで構わないと二人は速度を上げていく。
彼女たちにとり、自分たちを気に掛けて欲しいのは、ただ一人だけ。
そう、彼のところに一刻も早く辿り着いて、優しく迎え入れて欲しいだけなのだから――
雪道をものともせず、シロとタマモが疾けていく。
愛しの君を目指し、二匹のケダモノとなって飛ぶように走っていく。
辿り着いた後、最終的に獣が二匹で終わるのか、あるいは三匹に増えてしまうのか、それは当の本人たちにしか分からないことであった。
※初出:Night Talker「GS・絶チル小ネタ掲示板」
掲載にあたり、削除済みにつきNT投稿規定違反ではない旨、確認させていただいています。
Night Talker管理人・米田さんにはいろいろと配慮いただき感謝いたします。ありがとうございましたー!
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