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指名する度胸はあるのかい?

作:ちくわぶ



 唐巣和宏は今、人生で最も困難な事態に直面していた。これでもそれなりの年月を生きてきたし、大抵のトラブルにもどう対処すべきかは心得ている。しかし、その経験を持ってしても――というか、これは生来持って生まれた性分による影響が大きかった。


「あら、そんなに硬くならなくていいのよお・じ・さ・ま。リラックスしてね」

「あ、ああ、ありがとう……ははは」

「照れちゃったりして……可愛いっ」

「そ、そんなにくっついては……あああっ!?」


 さて、そもそも朴念仁で奥手で頭頂部が心配で貧乏な彼がなぜこんな状況に突入してしまったのだろうか。
 遡ること数時間前。
 彼はある除霊の依頼を受けた。今回は裕福な依頼主からの、実入りの良い仕事だった。久しぶりにまとまった収入を得られるとあって、唐巣はそれを――むろん人助けの気持ちが先にあってこそだが――快く引き受けた。そして、除霊が無事に済んだことを報告に行くと恰幅の良い中年の依頼主は、がははと大声を上げて笑い喜んだ。そこまではよかった。だが、この依頼主が急にある提案を持ちかけてきたのである。


「おっしゃ、ガツンと仕事した後は息抜きも必要でっしゃろ。いっちょ繰り出そうやおまへんか」

「く、繰り出す?どこへですか?」

「まぁまぁ、唐巣神父はついてくればええさかい。ほな行きまっせ!!」


 強引に依頼主の高級車に乗せられて辿り着いた先は、ネオン煌めく歓楽街。その路地を進んで行けば、およそ神父である唐巣には似合うはずもない大人の社交場の入り口が目の前にそびえ立っていた。高級クラブ『蛇の巣』。店の扉の上にはそう描かれていた。


「こ、困りますよ、私はこんな――!!」

「神父さんかて他人の悩み聞いてばかりやなくて、たまには自分の愚痴も聞いてもらわんと。さあさあ、入った入った!!」


 強引に押し込められた店の中は微妙に薄暗く、お酒とタバコと香水の匂いが混じり合って、えも言われぬ雰囲気を作り出していた。依頼主は何やら店のボーイらしき若い男と相談をし、やがて二人はVIP席に案内された。唐巣が落ち着き無く辺りを見回していると、露出の多い衣装を身に纏うホステスが彼の隣に腰掛ける。それだけでもう、唐巣は緊張したように身を固めてしまうのであった。


「もしかして、こういう場所は初めて、とか?」

「いや、何度か来たことはあるがね……なにぶん若い頃の話だから」


 そう、彼も若い頃はブイブイ言わせた時期があった。そして、こういう世の中の裏側とされる場所のこともつぶさに見てきている。だが、それでも開けっぴろげに女性に迫られることはいつまで経っても照れくさいし恥ずかしかった。


「せや、唐巣神父……ちょっとええか?」

「は、はい?」


 依頼主の手招きに、唐巣は耳を近付ける。すると、ボソボソと小さな声で依頼主は語り出した。


「実はこの店には難攻不落の伝説を欲しいままにしとるねーちゃんがおってな。えらい気が強くて、まともに相手できた男はおらんのや」

「……えーと、意味がよくわかりませんが。それじゃあクビになってしまうのでは?」

「そのねーちゃんがまた、ものごっつボインボインのベッピンでな。指名する奴は後を絶たん。で、誰が最初に彼女を攻略するのか店の中でも密かに話題になっとるんや」

「あの……まさか」

「あんたなら出来そうな気がする……わしの右斜め上からそうに違いないと電波が飛んできよるんや!!」

「何言い出したのこの人ーーー!?」


 そんなわけで、依頼人の男はボーイを呼び、件の女性を指名する。ちなみに、彼も以前チャレンジしたことがあるそうだが、さんざん罵倒されてヒールで踏まれてしまったのだとか。それを語る彼の表情がなぜか恍惚としていたことは、唐巣は見なかった事にしておいた。とりあえず気分を落ち着けようと水のグラスを手に取り、口に含んだ瞬間。彼の目には信じられないものが映っていた。


「ふん、今度は誰が相手なんだい」

「ぶーーーーーーーっ!!!?」


 コントよろしく依頼人の顔に思いっきり水を噴き出した唐巣は、言葉も出ずにただそれを凝視するしかなかった。


「メ、メドーサ!?」

「ん?お前どこかで……あああっ!?」


 なんと、それはかつて敵対したメドーサその人だった。しかも若返ったコギャル姿ではなく、唐巣がよく知るアダルトな色気全開の姿。あまりの動揺に声が出ない唐巣と、やはり顔見知りに出くわして驚いたメドーサの沈黙はしばしの間続いた。


「どうしてお前がここにいるっ。あの時死んだはずでは!?」

「ちょっ、声がでかいっ」


 そんな空気を読みもせず、すっかり興奮して鼻息の荒い依頼人がメドーサに飛びかかる。


「おおおっ、やっぱたまらんなぁっメドーサちゃんっ!!これがっ、このちちがっ!!」

「気安く触るな、このブタ!!」

「はうっ!?」


 カウンターで鋭い肘鉄を食らった依頼人は、潰れたヒキガエルのようにのびてしまう。


「何をする――!!」

「静かにしなって言ってるだろ」


 突き刺すようなメドーサのメンチに、唐巣はビクッと身体を震わせる。それはまさしく蛇に睨まれた蛙といった様相だった。


「あーもー……説明してやるから座ってな」

「あ、いや、すまない」


 メドーサは立ち上がろうとした唐巣の肩を押し返し、さっきまでの女性と入れ替わって隣に座る。その姿を間近で見ると、唐巣は目のやり場に困ってしまう。切れ長の瞳は吸い込まれそうな妖しい輝きを持ち、紫色の紅が引かれた唇は艶やかに濡れている。さらに、熟れきった肉体は形容しがたいフェロモンを放ち、濃い紫のハイレグ・レオタードに包まれた豊満なバストは押し上げられて強調されている。そして衣装とおそろいの蝶ネクタイ、ボタン付きのカフス。そう、ここまで見れば誰もがバニーガールを連想するだろうが、ここからが凄かった。なんとシッポは細長く長いモノがぴょこんと伸び、さらに背中まで伸びた美しい髪から飛び出している耳はうさぎではなく猫の――すなわち『ネコミミガール』という悶絶必至なスタイルだったのである。


「ひとつ質問が……その格好は一体?」

「ああ、これ?何かよく知らないんだけどね、これを着るとバカな男が喜ぶらしいから」

「うーむ……正しいんだか間違ってるんだか」

「しかし、よりによって知ってる奴の、それもGSに会うなんて……やれやれ」


 サービスする気などあるはずもない態度で、メドーサはため息をつく。そしてテーブルに用意されていたカクテルを一口飲むと、ペロリと舌を出してその妖艶な唇を舐め回す。唐巣はその誘惑に負けじと、必至に頭を振って煩悩を振り払った。


「……話を戻そう。なぜ君は生きている?それに、どうしてこんな場所で?」

「確かに……あの時はあたしも死んだと思った。けど、身体が燃え尽きる前に、どうにか地面に落っこちることが出来たわ。そこで卵になって、近くを通りかかった鳥に取り憑いたら、そいつが渡り鳥で――」

「気が付いたら日本まで運ばれていた、ということか」

「そこまでは良かったんだけどね……私は霊力を使い果たしちまって、もうロクな力も残ってないんだよ。行く当てもなくて街をうろついてたら、偶然ここにスカウトされたってわけ」

「しかし妙だ……コスモプロセッサで蘇った君を見たのだが、とするとあれは一体――あだだーーーっ!?」


 唐巣が首を傾げて疑問に思った瞬間、メドーサが彼の太腿あたりをつねる。


「その話は色々と面倒になるから黙ってなっ」

「わっ、わかったっ!!」


 というわけで、危険球により一旦仕切り直し。


「ゴホン。で、私の記憶では君は若返っていたはずだが、なぜ元に戻っているんだね?」

「知らないねそんなこと。こっちが聞きたいくらいだ」

「ふむ……蘇るとき、その姿がより強くイメージされたと言うことかもしれないな」

「まあ、小娘よりはこの身体の方が色々便利だからね。こうやって人間の中で暮らすための金を稼ぐことも出来るし、不満はないさ」


 さらにもうひと口カクテルをあおると、メドーサは意味深な瞳で唐巣を見た。


「さて、じゃあこっちからも質問させてもらうわ」

「質問?」

「とぼけるんじゃないよ……あんた、このまま私を見逃したりしないだろ?霊力は無いし、絶好のチャンスだわね」

「……」

「今ここで――殺す?」


 縦に伸びた瞳孔の奥に潜む闇。唐巣はそれを推し量ろうとしているのか、あるいは。互いに視線を絡ませたまま、沈黙だけが空間を支配していた。


「それが必要ならば、私はそれをためらわない。君は、死を望むか――?」

「……さあ、どうかしら」

「では聞くが……力を取り戻したら、再び悪に手を染めるつもりかね?」

「私は魔族だ……あんただって分かってるだろ」

「……」

「ただね……力も戻らず、人間にはいいようにしてやられた。雇い主も死んじまったし……はっきり言って、当分は何もやる気が起きないのが本音よ」


 明らかに諦念の混じった声で呟いたメドーサの眼前に、唐巣は不意打ちのようにロザリオを突きつける。普段の穏やかな神父のそれでない、GSとしての眼差しにメドーサはゴクリと息を飲む。だが、次の瞬間ふっと表情を緩ませると、唐巣はロザリオを胸元に戻して微笑んだ。


「私の知る魔族メドーサは死んだ。君はそれによく似た――別の誰かだ」

「正気かい?後悔するよ」

「いずれ君が悪事を働くというなら……その時は再び我々か、あるいは別の誰かが立ちはだかるだろうさ」

「ふん、得な性格ね」

「それが幸福に生きるコツってものだよ」

「ぷっ……くくく、はーはははっ!!」


 その言葉が妙におかしくて、メドーサは周囲も気にせずに笑った。それは悪意を含んだ嘲笑などではなく、純粋に愉快な感情の表れであった。涙目になりながらようやく落ち着いてきた彼女は、晴れ晴れとした表情で唐巣を見た。


「――ところであんた、名前なんだっけ?」

「唐巣和宏、だ」

「じゃあ唐巣神父。タバコは吸う?」

「20年前にやめたが……せっかくだ。一本くらいなら」


 メドーサはそう答えた唐巣を見てにんまりと笑うと、彼の右手を取って一気に胸元に突っ込ませた。


「なっなな……わああっ!!!?」

「まずは火がないと。ライターはここにあるから、自分の手で取って」

「ああっ、あうあうっ!?」


 すべすべとして、それでいて吸い付くようなもっちりとした感触。それが両側から手を柔らかく包み込んでいる。燃えた鉄のように真っ赤になった唐巣はあまりのことにすっかり混乱し、その手が動くたび豊かな胸元がぷるぷると揺れていく。


「あん、そんなに動かさないで……もしかして、わざとやってる?」


 ぶんぶんと首を振る唐巣を見て、メドーサは愉快そうにクスクス笑う。やがて唐巣の手がライターを掴むと、そっと手を引き抜いて戻す。相変わらず硬直したままの彼に煙草をくわえさせると、ライターの金属カバーを開いて火を付けた。久しぶりの紫煙はやはり刺激が強く、唐巣は激しくむせてしまう。


「うっ、げほげほっ……!!」

「真っ赤になっちゃって、可愛い。こーゆー事にはまったく弱いのねー。でも、気に入ったわ」

「こっ、この、からかうなっ」

「また来なさいよ唐巣神父。そしたらうんと遊んであげるわ」

「あのね、私は仮にも神父だよ。こういう場所には――」

「でないと、どこかで悪さするかもよ?」

「うぐっ!?」


 してやられた、と唐巣は思った。自分でも気付かないうちにペースに乗せられ、絡み取られているような気分だ。力を失い直接悪事を働くことは無さそうなものの、むしろ今の方が手強いのでないかと思わせられる。そして、メドーサは艶めかしい吐息を耳元に吹きかけ唐巣に問う。




「さあ、聞かせて。

 もう一度私を――



 指名する度胸はあるのかい?」

挿し絵:サスケ



※初出:Night Talker「GS・絶チル小ネタ掲示板」

 掲載にあたり、削除済みにつきNT投稿規定違反ではない旨、確認させていただいています。
 Night Talker管理人・米田さんにはいろいろと配慮いただき感謝いたします。ありがとうございましたー!



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